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使ってヨカッタ元気の秘訣

恐らく日本で最も有名な声の持ち主の一人だろう。子供から大人まで広く愛され続ける、漫画・アニメ「ドラえもん」。その声を、昨年3月まで26年間担当した、女優であり声優の大山 のぶ代さん(69歳)。大家族から学んだ生活の知恵、夫婦で実践している“老い”に立ち向かう方法などを語ってもらった。

いじめから救ってくれた母の言葉

1955(昭和30)年。劇団俳優座養成所に通っていた頃。(撮影/秋山庄太郎)

22世紀からやって来た子守用猫型ロボット、ドラえもん。空が飛べる“タケコプター”、好きな場所へ行ける“どこでもドア”。おなかに付いた四次元ポケットから出てくるさまざまな道具で、ドジなのび太くんを助けてあげる。
1970(昭和45)年にコミック連載を、79(昭和54)年にテレビ放送を開始した「ドラえもん」は、瞬く間に子供たちを魅了した。ドラえもんへの想いは、今年5月に上梓(じょうし)した『ぼく、ドラえもんでした。
〜涙と笑いの26年うちあけ話〜』(小学館)に詳しい。
広く愛された大山のぶ代版ドラえもん。しかし、中学時代にはその声が原因でいじめに遭う。「元気な私もさすがに落ち込んで無口になった」。でも、「弱いところはうんと使いなさい。そうすれば強くなるのよ」。最愛のお母さんの言葉だった。
大山さんはその翌日、放送研究部に入部。放送劇では、「かわいい声の人ばかりだったから娘役以外、全て担当させてもらえた」。夢中になった。「自分の声はそれほど悪い声ではないぞ」。これが現在の仕事の原点になる。




「ドラえもんのおばさんになって良かったことは、子供たちがみんな素直に私の言うことを聞いてくれることね」






言葉で伝える大切なこと

「見たらつい買ってしまう」。自宅にある“ドラえもんボックス”と物置は、ドラえもんグッズで溢れている。

江戸に生まれたひいおじいさんとひいおばあさんを筆頭に、四世代が同居する13人家族の中で育つ。テレビもなく、今のように食や健康に関する情報もない。ビタミンもカルシウムも知らなかった。その代わり、代々受け継がれる知恵があった。
「白いものが落ちてくると白いものがおいしくなるよ」
と冬の野菜について教わり、「海は身から川は皮から」
と、海魚と川魚の焼き方の違いを覚えた。
「背負い水」は、人が一生に使える水の量は決まっている。それを使い切ったときが命の終わりという意味だが、「物を大切にする」と同意だと教わった。
根三つ葉は、根元の茎を多めに残して根を庭に埋めて、繰り返し生えてくる芽を利用した。芽が出なくなったら根を細かく刻んできんぴらに。「最後まで食べてあげることが功徳(くどく)だよ」。おばあさんの言葉が心に残っている。
「はしりはダメダメ、旬が一番」。おばあさんが何度となくお母さんに言って聞かせた言葉。年をとると同じ話を繰り返す。「言ったこと忘れちゃうんだ」。小さい頃はそう思っていた。今は、「大事な話だから何度も聞かせて覚えさせよう」ということではないかと考える。だから、自分が同じ話を繰り返してしまったときは「これはいい話だから何度でも話すの(笑)」と返している。

美しく健やかに老う

お正月の一枚。共著でレシピ本を出すなど、おしどり夫婦としても有名だ。

表を掃くとき両隣の家の前も三尺分掃く「隣の三尺」。
おばあさんは「人との付き合いも三尺の間尺で」と言っていた。
初代体操のお兄さんとして人気を博していた砂川啓介さんと結婚してからも、夫婦喧嘩の時は「これを言ったら三尺を踏み越える。人の心に土足で入ってしまう」と何度も言葉を呑み込んだ。「だから43年、連れ添えているのかな」
45歳の時、これから来るのは老いだと夫婦で話し合った。「私たちは子供がない夫婦。年をとったら他人様に面倒をみてもらい、迷惑をかけていくべきところにいく。それなら出来るだけ面倒をみてもらう時間を短くしよう」。そのためには自らを鍛えなければならない。
まず、お洒落(しゃれ)をしようと決めた。明るい色を身につける。ご主人は髭(ひげ)をいつもきれいに剃っておく。
代名詞を使うこともやめた。長年連れ添うと「あれ」「これ」で通じてしまう。そして固有名詞が消えていく。顔は浮かぶけれど名前が出て来ないときなど、以前はイライラするから思い出そうとしなかった。しかし今は、「夫婦で蹴っ飛ばし合ってでも(笑)」思い出す。そのうちに「あれ」「これ」言わなくなった。
口にした言葉も漢字で書いてみる。書けなければドラえもんの貯金箱に罰金100円を入れるルールだ。「録音されているドラえもんの声で『毎度ありぃ』って言われたら、こんな悔しいことないのよ!」
料理が得意でレシピ本も多く出版している大山さん。「私の具合が悪くなったときのために」ご主人にお料理を教えた。今では“板長”に昇格したご主人と一緒に、台所に立つことも多い。外国に行けば「これはどうやって作るんだろうね」と話す。共通の話題も増えた。これも夫婦円満の秘訣。

自然体でいることが大切

60歳になって年に1回だった人間ドックの受診を年に2回に。2001(平成13)年に手術をしたが、今は至って健康。
青汁を一日に1杯飲む以外、特に健康法はない。「自然体で生きるのが一番」だから「ムリはなさらないことね」。ジムに通わなくても、「家事は重労働。それを元気よくやれば十分です」
欧米型の食事はなるべく避ける。ステーキや焼肉は一週間に1回くらいにして、魚と野菜をメインに。三度の食事で身体のバランスを保つ。そして四季それぞれ旬のものを食す。

次世代へのパイプとして

来年度、アナウンサー、リポーター、インタビュアー、俳優、声優などのための専門課程が新設される音響芸術専門学校の校長に就任する。
「人様に教えることは難しいし、音響技術は日進月歩」。大変なことは分かっている。しかし「変な喋(しゃべ)りができるから声優になれるわけではない。どのくらいの年月をかけて一つの役を作り上げるのか。そうしたことをしっかりと教え、どこの世界に行っても大丈夫な子供たちを育てたい」
受け継いだものを下の世代に渡すパイプになる。「太〜いパイプでしょ?」と笑う。きっととても多くのものを次世代に引き継ぐのだろう。



1936(昭和11)年、東京都生まれ。
高校在学中に劇団俳優座養成所入学。
1956(昭和31)年、テレビドラマ「この瞳」(NHK)でデビュー。
「ハリスの旋風(かぜ)」「江戸を斬る」「じゃがいも」「ためしてガッテン」など多数出演。料理研究家、水の研究家としても有名で、『大山のぶ代のおもしろ酒肴』『大山のぶ代の水なんだ!?』など著書多数。
2004年度「放送ウーマン賞」受賞。