「女優」という言葉が本当に似合う人である。今年で芸歴54年を迎える浜木綿子さんは、舞台、映画、テレビと私たちの前にいろいろな役柄で登場し続けています。「プライベートな取材は不慣れ」とおっしゃる浜さんですが、役柄を彷彿させるきっぷのいい語り口調で、お芝居へのこだわり、健康法や趣味、そして子育てについて大いに語っていただきました。
この世界に入って54年、私も72歳になりました。これからも女優一筋をつらぬいていきたいという思いにゆるぎはありませんが、30代の頃に、やめようと思ったことが一度だけありました。
宝塚出身ということもあり、当時はミュージカルの出演が多く、現在も大ヒット公演を続ける「ラ・マンチャの男」の初演のお話をいただいたんです。私の役は今は松たか子さんが演じているアルドンサ役。草笛光子さんと西尾美恵子さんと私のトリプルキャストでした。名作ですから心して臨んだのですが、演出家が外国人の方でしたので、翻訳家が間に入っての演技指導となり、非常に苦しみました。それでもなんとか開幕にこぎつけたんですが、公演終盤になってその疲れがどっと出てしまって、ついには降板してしまったんです。それはショックで、すっかり自信をなくしてしまいました。
そんな窮地に立たされていた私を救ってくれたのが、宝塚の同期生の言葉でした。「ミュージカルにこだわらなくてもいいじゃない。歌はなくても、お芝居で頑張ればいいじゃない」といわれて、踏みとどまったんです。考えてもみれば、私は歌や踊りだけじゃなく、お芝居がしたくて宝塚を辞めたんじゃないか、そう思い直すことができて、立ち直れたんです。以来、一切歌は”封印“、お芝居一筋でやってきました。
亭主役・左とん平さんとの軽妙なセリフまわしで爆笑を誘う。「売らいでか!」(2007年、梅田芸術劇場) |
公演を乗り切るにはそれはかなりの体力が必要ですから、健康には気を遣っています。まず、日課としているのが寝る前の体操です。スクワットをしたり、腹筋をしたり、通販で買った自転車をこいだり、時間にして30〜40分ぐらいですね。最後は体をほぐすために柔軟体操をみっちりします。役者は相手が投げてきたボールを受けて、臨機応変に演じられなければならない、それが私の持論なんです。そのためには、体が柔らかくなくちゃいけないんですよね。
私のリラックス法といえば、近所の公園を歩いたり、庭いじりをしたり、絵を描いたりといろいろあるんですけど、最近はなんといってもクラシック音楽ですね。出会いは、7年ほど前のことになりますか、ユンディ・リという中国のピアニストの演奏を聴いて、すっかり虜になっちゃって。ショパン、シューマン、チャイコフスキーといろいろ聴いていますが、どれもなんともいえない繊細な響きと優美な旋律で、聴いているだけでおだやかな気分になるんです。コンサートにも出かけますし、CDやDVDも随分持っています。夜、お酒を飲みながら聴くときが究極のリッラックスタイムになっています。それで、つい飲みすぎちゃうこともあるくらい(笑)。
舞台生活50周年を記念した「喝采〜愛のボレロ〜」(2004年、帝国劇場) |
息子の照之(香川照之さん)が役者になりましたけど、最初は息子がこの世界に入るのには反対だったんです。何とか思いとどまらせようと思って、プロデューサーの石井ふく子先生にお話したら、「一度私のところに寄こしなさいよ。スタッフをやらせてみましょう。そうすればいかに大変かってことがわかるから」とおっしゃっていただいて、通わせたことがあったんです。遅い時間にヘトヘトになって帰ってくる日々が続いて、それがようやく終わった頃、どうだった? って聞いたら、「いや〜、裏方の仕事は大変だ。やっぱり役者がいい」ですって。私の目論見は見事に失敗に終わりましたね(笑)。今は親の力を借りずにやっているわけですから、それはそれで立派だと思っています。
最近携帯のメールを始めたんです。メールなんて一生やらないかなと思っていたんですけど、やってみたら意外に面白くて、絵文字も使ったりしてそれなりに使いこなして楽しんでいます。これを機にパソコンにもチャレンジしてみたいなんて思いにも駆られますし、英会話も勉強したいと思っています。
皆さんも、今さらなんて思わないで、新しいことにもどんどん挑戦していってください。やはり、いくつになっても前向きに生きることが大事。「あきらめない」っていう気持ちが困難を突き破るエネルギーになりますし、そうやって努力する過程で、”幸せ“を感じられるんですよね。
1935年、東京生まれ。53年、宝塚歌劇団入団。61年に退団後、舞台女優として、「人生は、ガタゴト列車に乗って…」(1989年、菊田一夫演劇大賞受賞)「肝っ玉姐さん奮闘記」「売らいでか!」など、出演した舞台は数知れず。「おふくろ」シリーズ、「監察医・室生亜季子」シリーズなど、テレビドラマでも人気を博す。2000年、紫綬褒章受章。 |